「克伐怨欲(こくばつえんよく)行えば、以て(もって)人と為すべきか」。
子(し)曰く、「以て難し(かたし)と為すべし。仁は則ち吾知らざるなり」
戦う心、慢心、不平不満、我欲、これらが抑制できれば仁者と言えましょう。「確かにそれだ出来ればたいしたものだが、それだけ仁者と言えるだろうか」
子曰く、徳ある者は必ず言有り。言あるものは必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁有らず。
有徳の人の発言は説得力があるが、説得力がある発言をする者が有徳とは限らない。仁者は必ず勇気があるが、勇気があるものが仁者だとは限らない。
子曰く、君子にして不仁(ふじん)なるもの有らんか。いまだ小人にして仁なる者あらざるなり。
君子でありながら、不仁な者はいるだろう。しかし小人には決して仁者にいない。
仁者:徳>才
小人:徳<才
賢人:徳↑ 才↑
愚者:徳↓ 才↓
※徳とは、他者に対する優しさ、自らは社会の一員であるという謙虚さ、自らの働きによって社会をより良くしようとする、人間の本質的な要素。
出典:「先人に学ぶ、自己を修める、活学する」和良示(わらじ)の会 勉強会より
和良示(わらじ)の会 → http://jp-waraji.com/
■気づき====
このテーマを通じて、ある小学校の先生が「有給休暇」をとり、自分の勤める学校の入学式を休み、我が子の入学式に参加したテーマが議論のテーブルに乗りました。
世論は2分したそうです。
自分の子供なんだから当然でしょ…という派。
教職員の立場を考えたら、職務をまっとうすべきだ…という派。
ディスカション中に一人の男性が発言しました。
「その先生は教育の大切なチャンスを逃したと思う。子供に、本当は貴方を晴れ姿をみたい…。でも私は教師だから、自分の生徒の入学式に行く。個人は社会の一員である以上、社会に貢献しなければならない…そういったら子供はどれだけ自分の親を誇らしく思うか…」
素晴らしい意見だと思いました。
もちろん、その子は自分の親だけが来ない状況に悲しい思いをするかも知れない。
だけど、大人になったとき、その子はとても大切な資産を入れるハズです。
「徳」という無形の資産を。