先日のコラムでお伝えした「仮説は組織で考え、検証は自らを行う」という切り口。
確かにそうですね…。と複数の方から反響を頂きました。
ある人からも「この発想は優れた仮説を生みだすためにも、とても重要な事です」と高評価を頂きましたが、おっしゃる通り『優れた発想』の生みだす”ネタ”にはなります。
しかし、誤解されている方もいたので、もう少し突っ込んでお伝えしなければなりません。
それは、優れたアイディアと言うのは、一人の脳みそから生まれるという事実です。
皆で仮説を考えることの重要性は、現状の見つめ方・捉え方をあらゆる角度から視る際に役立つのであって、真に使える仮説は、企画者肌の人間が何日も何日もかかって脳みその中で熟成させた結果生まれてくるものなのです。
以前、一流企業に勤め、システムの上流設計を行っているシステムエンジニアが「どのような大規模システムであっても、システムの仕様はたった一人の天才の頭脳から産まれている」と言っていましたが、まさにその通りです。
皆で協議をするのは、あくまでも、あらゆる角度からの現状把握が目的です。
決して、みんなで仲良くアイディアを出すという主旨ではありません。
そもそも、みんなで出したアイディアと言うのは、責任の所在を曖昧にしたい…という甘えが生じやすくなります。
従って、出し合ったアイディアを皆で1つに統合する作業は決して行なってはいけません。
「最大公約数」が優れた仮説になる可能性は極めてゼロに近いものなのです。
もちろん、こうすれば売れる…という仮説を作って、実施した結果がどうだったのか…各自の評価を各々が行い、次なる仮説を作る中で飛び交うアイディアはとても重要です。
しかし、最終的に「次なる策はこうする!」という方向性は、リーダーなり、企画者が責任を持って決定することが大事です。
時に、全体ミーティングで出た真逆の方向性(仮説)に行くことだって構わないのです。
と言うよりは、往々にして真逆の方向性の方が「正しい選択」であるケースは多いものです。
もちろん、現場で繰り返し試行錯誤しやすい「戦術レベル」であれば、仲良しこよしで出したアイディアをとりあえず試してみるというのはアリかも知れません。
しかし、一度決めたら容易に変更できない「戦略」の決定は、絶対に一人が行うことが必要です。
織田信長が、桶狭間の戦いで奇襲戦略を立てた時、誰一人として事前に自らの「策」をうち明かさなかったと言います。
当時はスパイ作戦が横行しており、内部情報が敵方の今川勢に伝わるのを防ぐため…と言われていますが、私はもうひとつ大切な理由があると思います。
それは、自ら立てた策に対し、あれこれと回りから意見されることで、自らの心に余計な風を吹かせないためだと感じています。
織田信長がそこまで考えていたかどうかは正直わかりませんが、意外に強者というのは繊細ですし、自らの心のコントロールに細心の注意を払っているものです。
いずれにせよ、皆で行う協議は「過去・現状・未来」をあらゆる角度から見るため「場」です。
そして、可能性としての「アイディア」をテーブルに乗せる「場」です。
決して「採用されるアイディアを決める場ではない」と言う事を一言添えておきたいと思います。
追伸
もう一言、大切な事を言い忘れました。
仮説を評価する「チェック」のステージは、仮説を改良する余地を洗い出したり、仮説そのものの良し悪しを評価するためのものです。
反省はすべきですが、失敗したからと言って落ち込む必要性はありません。
落ち込む暇があったら次なる策を立てる時間に当てることが肝要です。
先日、クライアント企業で社長に同席して営業部員一人ひとりと前期の反省会を行ったのですが、落ち込む社員を見ていて、そう感じました。
休憩時間中、社長にその感想を伝えると「そりゃそうだ!」と言うことになり、即座に後半の個別面談を中止して全体会議に移行してくれました。
やはり、トップというのは決断の速さが重要だと改めて感じた次第です。