とことん「本質追求」コラム第452話 常識に支配されるとマーケットを見失う

 

「いつかは絶対に売れると信じていましたけど、こんなに早く成果が出るとは思ってもみませんでした」

 

コロナ禍で、世の中の空気が沈むなか、昨年秋からお手伝いしている事業に成果が出始めています。

 

どんな世の中になろうとも、人間が生きている限り、間違いなく商売は動き続けます。

 

その証拠に、長年の抑圧された生活にとどめを刺された時代に生きてきた人たちの周辺にはどんな商売が成り立っていたのか。

藤冨は分析したことがあります。

 

結論から言うと意外や意外。

なんと、第二次世界大戦の終焉を迎える1945年8月15日の朝日新聞には、「日東紅茶」の広告が掲載されていたのです。

 

「紅茶?」

「紅茶って、贅沢品じゃありません?」

 

あなたも不思議に思いませんか?

 

終戦間際、私の父は小学生で、芋しか食べたことがない。毎日、毎日ひもじい(お腹が減った状態)思いをした…と話していましたので、私は国民全員が「ひもじい思い」をしているものばかりと思っていました。

 

しかし、現実は違っていたのです。

新聞を読めるような上流階層の人たちの消費行動は、私たちのイメージを覆すものだったのでしょう。

 

欲しがりません、勝つまでは!

のスローガンのもと、国民は自らの「幸福」「豊かさ」を全て犠牲にして、国のために捧げました。

 

戦局の激化と物資の不足を補うため、国の所有物はもちろんのこと、一般国民が所有する「鍋」や「釜」まであらゆる鉄製品を徴収し、戦闘機や鉄砲の玉などの生産に当てていました。

いわゆる1941年に発令された「金属類回収令」で、天皇より発せられた命令(勅命)です。

 

戦後、天皇が「人間宣言」をした通り、戦前・戦中の国民は天皇を「神様」だと信じていました。

その神様からの命令です。

 

どんなに苦しくても、どんなに辛くても、持ちうる財産は全て国に捧げ、日本のために国民は身も心も捧げていたはずです。

 

しかし、その先入観は「100%」ではなかった。

間違いなく、終戦日にでも高級品が売れる確かな市場があったのです。

 

情報というのは、恐ろしいもので、ある一部分だけを切り取ると、あたかもそれが「全て」のように見えてしまいます。

 

さらに怖いのは、先入観。

 

「戦中で、国民全員が貧乏で苦しんでいたんでしょ」という先入観は、単なる思い込み。戦中でも、自由を謳歌し、豊かな生活をしていた人たちも一定数存在していた…と。

考えてみれば当たり前のように聞こえるかも知れませんが、先入観は、ビジネスチャンスを見えなくしてしまいます。

 

常識を疑うことは、とても大事です。

特に、経営者をはじめとするビジネスリーダーや商売人には欠かすことのできない視点です。

 

平時では、あまり意識しなくても良いかも知れません。

しかし、「非常事態」「緊急事態」など、世の中が大きく動揺している時の「常識」には、目を凝らす必要があります。

 

何かの都市伝説を信じて!という訳ではありません。

しかし真逆の情報発信をしている人たちにも「耳」を傾けることが大事です。

 

情報は「多数派」「少数派」の意見それぞれをサンドイッチにして噛み砕く方が、自らの方向性に良いインスピレーションを与えてくれる可能性が大です。

 

上述の社長も、コロナ時代だから「BtoB向けのウチみたい商品は売れないんじゃないかな…」と、考えていました。

上市から、2年経っても鳴かず飛ばずだった商品である上に、世の中の停滞ムード。

 

先入観に支配されるのも、無理はありませんが、状況は冷静に見極める必要があります。

 

そもそも、当初1年目に売れなかった原因を探ると単純明快。

 

「お客様が欲しい!」と思うメッセージに変換されていなかっただけでした。

 

良い商品だから売れるとは限りません。

良い商品の良さを伝えないと売れません。

 

では、何が「良さ」なのか。

 

それは、顧客となり得る人々が…

 

・今どんな状況に置かれているのか。

・どんな不満や不安などの「不」を感じているのか。

・どんな解決法を望んでいるのか。

 

誰かにとって、その解決法が「満足」に繋がることが、商品の「良さ」なのです。

 

私たちは誰にどのような貢献ができるのか。

そして、その貢献の対価の正当性はいくらなのか。

 

現状を打破するための思考法は、足元にしかありません。

社会の空気、常識に囚われると、時として足元が見えなくなります。

 

平時でないときには、特に注意が必要です。

 

御社は常識に捉われず、真摯に市場と向き合う姿勢を貫き通していますか?