とことん「本質追求」コラム第424話 「大義」を貫く上でのエンジン役「武士道」

今回のコラムは、普段の仕事から生まれた「疑問」に対する「回答」というスタイルではなく、今後事業活動をする上で、大切な覚書として、また私自身の備忘録として書き綴りたいと思います。

2020年2月18日に、本コラムを紹介する「メルマガ」に書いた事業が実現しようとしています。
メルマガを読んでいない方のために、原文のまま掲載します。

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先週金曜日の日経新聞を読んでいて、2つの記事が私の頭の中でドッキングをしてスパークしてしまいました。
一つは、昨年4月に東京・中野にオープンした「AVASTAND(アバスタンド)」というお店の記事。
同店はモニターに映ったアバターと一緒に飲める「アバターバー」という業態(?)らしく、「中の人(アバターを操作する人)」は自宅からパソコンを通じて接客しているとのこと。モニターに映ったアバターと会話をしながら盛り上がり、中には3時間も楽しむ客がいる!という内容でした。
しかも、驚いたのは、中の人は、福岡市在住の年金暮らしの女性がアバター役であるという事実。

すごい世界が水面下で動き始めているようです。

さらに、別の記事では、「SNS疲れの若者が癒しを求めてスナック通いをしている」というもの。しかも女性もスナックに通い始めているとか。
これはすごいビジネスチャンスですね。
時流も確かです。

これからクラウドワークスのように、スナックのママとお客さんをマッチングさせるビジネスが間違いなく流行ると感じました。
まだ世の中にはない新規事業です。
システム屋さんで、このアイデアにご興味のある人は、藤冨が要件定義をして、世の中に広めるところまでお手伝いしますので、一緒にプロジェクトをやりませんか?(笑)
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という内容です。

コロナが、世間で騒がれる以前のメルマガです。
この2ヶ月後… コロナによりスナック業態は、壊滅的な打撃を受けることになりました。
朝日新聞にも「スナック苦境 2カ月で3人のママの悲報が」という見出しで取り上げられ、普段スナックに行かない私でさえ、心を痛める状況が続いたのです。

そんな中、経験豊富なシステムエンジニアと出会い、さらに元スナック経営者で現在「全国のママ・マスターを応援する会」の代表と知り合い、チームでこの事業を立ち上げようとしています。

2月18日のメルマガの時点では、単に「面白そうだ!」という思いで書いたにすぎません。
しかし、4月の緊急事態宣言が発令されてから、事業の出発点が「使命・愛」に変わりました。

先週のコラム「第423話 生き残り条件「そこに愛はあるんか?」は、まさに、この話を友人コンサルタントに伝えた話した時に、生まれた会話です。

チームメンバーも皆同じ想いです。
同時発生的に「これはやるべき事業だ」との想いが合致しました。

皆さまにとっても、新規事業を進める上でのご参考になると思います。
ぜひ読み進めてください。

やるべき事業…つまり「大義」を貫く上でのエンジン役には「武士道」が最適だと藤冨は考えています。

「武士道」は、今から120年前の1900年に出版されました。
日本に、宗教がない!「日本人は何をベースに子孫に道徳心を授けるのか?」と外国人から指摘された新渡戸稲造氏が、日本には「武士道」があると、英語で出版した本です。

道徳心の定義は「善悪を判断し善を行おうとする心」です。

この善を行う気持ちの強さが、大義を貫くという考えです。
そもそも「武士道」の最初の教えであり、最も厳格な教訓は「義」です。

武士道は、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」6つの教訓か成り立っています。

「義」は、打算や損得勘定を超越し、自分が正しいと信じる道を貫く という教えです。
虚偽が兵略として通用した時代だからこその教えですが、今の経済戦争も同様だと藤冨は考えています。
2020年以降、日本経済はさらに不安定となるでしょう。
不安定になると保身に走り易くなり、打算や損得勘定の心が芽生えやすくなります。
それを振り切るチカラが、義に他なりません。

「勇」は、勇気です。
論語の中で「義」とセットで捉えられていて「義を見てはなさざるは、勇なきなり」と教えています。
つまり、正義を実行するチカラだと解釈できます。
肉体的、精神的な強さを保つために、鍛錬を怠らなかった武士たちは、正義を敢然と貫く実行力を大切にしていました。
勇は、意識して鍛錬しないと身につきません。
藤冨は、優れた経営者と接する機会に恵まれていますが、20年、30年と事業を続けてきた経営者は、皆さん「勇」の意識が強い。
だからこそ、長期安定的に存続できるのだと感じざるを得ません。

「仁」は、一言で言うと「武士の情け」です。
愛、寛容、同情、哀れみは古来最高の「徳」。すなわち人の霊魂の中でも最も高きものとされています。
孔子は「君子はまず徳を慎む。徳あれば人あり。人あれば土あり。土あれば財あり。財あれば用あり。徳は本なり、利は末なり。」と説いています。
やはり「愛」が事業の出発点として企画されることは、古来からの教えから見ても道理にかなっています。

「礼」は、仁の精神を育て、他者の気持ちを尊重することから生まれる「謙虚さ」の教えです。
日傘をさして歩いている人が、たまたま知人に出会った時に、日傘をたたんで立ち話をしていたのを見た外国人は「恐ろしく、おかしい」と言ったそうです。
「君は陽にさらされている。私は君に同情する。もし私の日傘が十分に大きければ、もしくは我が親友の間柄であるならば、私は喜んで君を日傘に入れてあげたい。しかし、私は君をおおうことができないから、せめて君の苦痛を分かつであろう」と言う精神が、外国人から見れば「不思議」に見えるのでしょう。
他者の気持ちを尊重すること。常に謙虚であること。この日本人の美徳が、世界をよくしていくものだと私は信じて疑いません。

「誠」は、漢字の成り立ちの通り、”言ったことを成す”と言うことです。
武士にとって嘘やごまかしは卑怯者の行為とみなされていました。
士農工商における身分制度で、武士が一番高い地位にいることは、それだけ高き信実が要求されていたのです。
虚言は、罪として裁かれず、単に弱さとして排斥されたそうですが、弱さは武士にとって生き恥を曝すようなもの。
偽りは、ある意味「死」に値するほどの社会的評価を下される事になっていたのです。

「名誉」は、自分に恥じない高潔な生き方を守ることです。
武士は子供の頃から、「恥ずかしくないのか」「笑われるぞ」「体面を汚すな」と正しき行動を促し、廉恥心を養成していました。
上述の通り、恥さらしは、武士にとっては死に匹敵するほどの精神負担を強いられます。

「義」「仁」「礼」「誠」「名誉」すべての教訓は、「勇」がなければ崩れ去るものです。

「大義」を貫くためには、日々肉体、精神面の鍛錬が必要です。

藤冨は、日本人として生まれた事に感謝し、確かな武士道の精神を習得するべく努力をしていく所存です。

皆様は、武士道の精神に誇りを感じますか?