とことん「本質追求」コラム第257話 変化の激しい時代に要求されるビジネス能力とは

 

 

 

「分業しないと教育コストが跳ね上がるのでは?」

「分業しないと生産性が落ちるのでは?」

 

前回のコラム「分業体制が、責任の転嫁の元凶となる」(https://www.j-ioc.com/wp2024/column/4591/)には、「もの申す!」的な意見が数件寄せられました。

 

片や「同感です!一気通貫させないと責任感が生まれない」など肯定的な意見も頂きました。

 

確かに、もの申す!とおっしゃった方の意見も間違ってはいません。

分業は、同一作業だけに集中をさせるため、教育すべきカリキュラムを絞ることが出来ます。従って「仕事」の習得期間も短くなり、結果教育コストを抑制することが出来ます。

 

また、同一作業をすることで、生産性が向上することも事実。

それは一切否定するつもりはありません。

 

しかし、営業現場に限ってみれば分業が企業経営に貢献するには、一つの絶対的条件を抑えていなければなりません。

 

その絶対的条件とは…

 

「旺盛な需要があり、購買欲求を刺激しやすい商品であること」です。

 

大量生産大量消費時代は、この絶対条件を満たす市場で溢れかえっていました。

 

しかし、現在は「大量生産大量消費マーケット」は、極々限られた数しかありません。どこを見渡しても「多品種少量生産・小間割り市場点在マーケット」だらけです。

しかも、この「小間割りマーケット」のニーズ変化も尋常ではないほど早い。

 

そのような市場では、見込客の集客→商談・受注活動→顧客フォローを分業することは、かえって生産性を落とす事になります。

 

なぜなら、変化の激しい小間割りマーケットは、営業現場が嗅ぎ取ったニオイを商品開発や見込客集客を行う部門に即座にフィードバックしなければ、顧客が振り向いてくれず、売上に結びつかないからです。

 

具体的な数字を見ると、その恐ろしさが分かります。

 

高度成長中期の日本の法人数は、およそ70万社でした。ところが、2014年の統計では385万社と、5.5倍も企業数は増えています。

 

人口は9800万人前後から1億3千万人弱と1.3倍程度の増です。

単純に考えると、4倍強「競争が激しくなっている…」と見ることが出来るわけです。

 

競争がゆるやかな時代には「今何が起きているのか」を把握することが比較的簡単ですが、競争が厳しくなればなるほど、「今何が起きているのか」を正しく掴むことが難しくなります。

 

競争が入り乱れているときは、今何が起きていて、今何を成すべきかを迅速に掌握、判断、行動することが求められます。

 

つまり「全体像」を把握できる能力が、求められるわけです。

 

分業体制は、この「全体像」を見る力を徹底的に削ぎ落とします。

 

ここでいう全体像とは、顧客が商品を認知し、興味関心を抱き、購買し、満足する一連のプロセスです。

 

一言でいうと「商売」です。

 

一人一人の視野が狭くなった状態で、何人束ねても「広い視野」にはなりません。

つまり、絶対的な司令塔がいないと、顧客を理解し「今の手」「次の手」を打つ事が出来ないわけです。

 

もちろん、一人一人に広い視野を求めるのではありません。

組織ですから、広い視点で見ようとしている人が増えれば、それを束ねることで「広い視野」を得ることが出来ます。

 

組織の壁を取っ払うことは出来ませんが、壁を浸食し合う「組織体制」をつくることは出来るはずです。

 

現に、そのような組織は活発な議論の上に、秀逸な販売戦略をくみ上げ、好業績をあげています。

 

日本人は活発な議論を嫌う傾向にありますが、議論を深めることで新しい発見や本質が見えてくるのも現実。

 

嫌がっていては、一向に前に進みません。

 

分業をし、仕事が習得しやすくなることで、社員はそれに甘んじ「ぬるま湯」から出てこようとしなくなります。

 

これからの日本は、過去の延長線上で生きられるほど甘くはない断絶の時代が来る可能性がめちゃくちゃ高くなってきています。

 

そのとき、社員を「茹でガエル」にしないためにも…

今から分業体制を見直す事が重要なのでは…と藤冨は強い危機意識を抱きながら懸念しているのです。

 

御社は、それでも分業体制に見直しをかけませんか?