とことん「本質追求」コラム第85話 本質を見抜くために「前提条件」を変えてみる

安倍首相が靖国神社に参拝したことで、米国は「失望」を表明し、中国や韓国はさらに対日強硬姿勢を強めています。

多くの報道機関や日本人も「靖国神社」に参拝すべきない!と主張しています。

しかし、私には、どうもこの”単色的傾向”が気になって仕方ないのです。 
私よりも遥かに歴史に詳しいであろう人も「靖国参拝反対派」に傾いているので、反対する前提条件が私に欠けているのかも知れませんが…

それでも、ものすごい違和感を覚えています。

非常に難解な書で、私自身どこまで著者である山本七平氏の主張を理解できているかは分かりませんが、氏の「空気の研究」を読めば、私が違和感を覚える理由がお分かり頂けると思うのですが…。

「空気の研究」を読んでから、日本においては、まずは常識を疑うことが重要だと考えるようになりました。

日本軍が第二次世界大戦の開戦を意思決定し、絶望的結末を迎えるまで必死に抵抗し続けた根源は、「空気による意思決定」だったと氏は指摘しています。

論理的思考でもなく、科学的データから結論づけられるものではなく、「あの時にあの空気ではそうせざるを得なかった…」というような、ある状況下の空気によって、国自体もが動いてしまう民族性が日本人のDNAが組み込まれているそうです。

そもそも歴史というのは、勝者によって作られます。 
決して、事実が正しく受け継がれる訳ではありません。

誤解を恐れずにいえば勝者によって歪曲される…という事実も念頭に入れて状況を正しく見定めねばなりません。

靖国神社に限っていえば、吉田松陰、坂本龍馬も祀られていて、日本のために自らの命を捧げた英霊を合祀しています。

旧幕府軍や明治維新の功労者であっても、その後叛乱に加担した西郷隆盛は、祀られていないなど、政治的な問題も指摘できますが…

それでも、日本のために自らの命を捧げた功労者を祀ってあることは紛れもない事実です。

なぜ、「靖国問題」に対して諸外国がつつき、日本に自省を求めるのでしょうか?

大東亜戦争が、侵略戦争ではなく、日本の自衛のための戦争であったとマッカサーがアメリカの議会で証言していた事実もあるようです。

さらに、靖国神社参拝にひどく批判する中国や韓国も、発言しているのは政治家です。 
歴史を知る一般人は、日本がアジア諸国を侵略したのではなく、欧米列強から守ってくれた…という認識をしている人がいるのも事実です。

色々な確度から前提条件を加え、賛成、反対と一律的かつ感情的に反応するのではなく、正しい歴史認識や靖国神社そのものを正しく理解する事の方が先決です。

この作業を怠るから、山本七平氏が指摘するように、己の主張が確立されないまま「空気」に流されてしまうのです。

不確実性の高い未来への意思決定は、正しい現状認識が必要なのは言うまでもありません。 
しかし、日本では「空気による意思決定」が往々にしてなされています。

私も15年間組織で働いてきましたが、嫌というほど、この経験をしてきました。

企業活動の本質が、市場競争だと捉えれば、これは危険極まりないこと。

顧客から競争相手よりも優れている…と認識してもらい支持を得るには、「自社が競合よりも優位的立場になれる市場で」「顧客の欲求を満たす」必要があります。

それには、「自社の市場対応力」「他社の市場対応力」そして「顧客の欲求」を総合的に客観視するところから始めなくてはなりません。

 

過去の成功体験にしがみつき、空気に流されてしまっては、企業の行く末は成熟市場で溺れもがくしかありません。

 

そうならない為には「正しく現状を把握する努力」と「空気を変えられる環境を常に整えておく」必要があるのです。

 

様々な意見や主義主張がどのような前提条件から生まれてきているのか…。
ここを深堀することが、「本質」に迫り、正しい意思決定を生み出す源泉になるのです。