
「当社だけでなく、多くのビジネスマンが”演繹法(えんえきほう)”的な発想になっていると感じました。頭でっかちな議論に終始する会議に辟易していたので、帰納法で思考していこう!と社員に伝えておきました」
先日、長らくお付き合いのあるクライアント企業の社長から、前回のコラムを読んだ感想と報告のメールをいただきました。
「頭でっかちな議論」という表現は、まさに我が意を得たり!
教科書にのっていそうな「キレイな結論」ではなく、本質的な問題解決につながる「結論」を求める議論が、大事だと常日頃から思って仕事をしているので、とても嬉しく思いました。
個人的に以前からずっと感じていたことですが、仕事に対する情熱が失われつつあるように感じています。
その背景を考察してみたいと思います。
私が社会に出たあたりにバブル崩壊が起こり、その後失われた30年を日本は歩んできました。
その社会的な風潮が、ミクロの世界まで浸透して、企業を蝕んでいるような気がしてなりません。
昭和の世代は、焼け野原から国民全員が復興を目指して「豊かさ」という画一的な目標を目指して頑張ってきたので、ある意味「共同体による作業」でも成果を得ることができていたように感じます。
終身雇用制という「会社が家族」的な存在としても信じることができていたので、安心して全人生を捧げることができていたように感じます。
大学卒業後、定年退職するまでの45年間皆勤賞をとった私の父親を見ての実感です。
おそらく愛社精神を担保していたのは、家族主義的な経営スタイルと終身雇用制度なのではないでしょうか。
一方、バブル崩壊後は、経済成長が停滞し、画一的な成功モデルの存在が消滅してしまいました。
これが価値観が多様化した背景だと推測されます。
価値観の多様化は、言い換えれば「答えのない世界」とも表現できます。
学校の教えに答えはあるけど、社会にでると答えのない社会になる。
この世界観は、昭和後期から芽生え始め、平成、令和世代と年を追うごとに色濃くなってきたようにも思えるのです。
前回のコラムでは、演繹法(えんえきほう)を否定しているように聞こえた方もいるかも知れませんが、決して否定しているのではありません。
一般的な原理や法則から「答え」を導き出す方が良いケースもあろうかと思います。
しかし、ネット社会の上に成り立った「知識社会」の影響でしょうか。
多くの企業が打ち出す「最適解」が均質化することによって、現実世界が薄っぺらくなっているような感じがしてしょうがないのです。
そもそも知識社会とは、知識が社会のあらゆる領域で重要な価値を占める社会を意味します。
その知識の源泉にインターネットがあれば、誰でもカンタンにアクセスできてしまうのですから、価値の薄っぺらくなるのは、ある意味自然現象だと理解できます。
そう考えると、企業の存在価値が「差別的優位性のある価値を社会に提供すること」だと定義するならば、軽薄な答えを導き出すロジックそのものに危機感を持つ必要があるのではないのでしょうか?
話を元に戻すと、昭和世代は、愛社精神を担保に、情熱を持って仕事に没頭することで、自らのアイデンティティを確立することができました。
情熱が、成果の源泉だったのです。
時は経て、現在は「知識」が成果の源泉だと認識されています。
しかし、画一的な成功モデルが存在しない「答えのない世界」では、「知識」だけでは答えを出すことはできないハズです。
もっと正確に言うならば「答えを出すことを目的とした知識」では、正解に辿り着くことは確率的に出来なくなってきているのです。
つまり「演繹法(えんえきほう)を否定しているのではなく、この「答えをだすことを目的とした知識」を指摘していたのです。
また、もう一つ重要なポイントを押さえておく必要があります。
問題を与えられると、すぐに反応してしまうリスクです。
例えば、売上が伸び悩む企業が「営業に問題あり!」と課題を設定するケースなどはその典型例です。
営業に問題あり!と、課題を設定すると当然のことながら、営業の問題点を洗い出し始めます。
そして、問題点らしき改善事項が設定され、「●●流対策法」なるものを使って、解決策を打ち出して、いざ実行!
しかし、微々たる成果はでるものの経営陣が描く目標には到達しない…
なぜなのか?
頭を抱えたまま、停滞し続けている企業さんは、山ほど存在します。
これは、「問題」を与えられたら、その問題の本質を明らかにせずに、安直に「解答」を探し出してしまうことが元凶です。
問題解決スキルを使った単なる作業になっていることに気づかないと、いつまで経っても問題は解消されません。
「問題」を抱えたら、その問題の本質は何か?を真っ先に特定する必要があるのです。
本質的な問題を特定する上で、上司や経営陣が原因を作っていることもあるかも知れません。
しかし、「人」に焦点を当てるのではなく、「実態」に焦点を当てることが大切です。
人の責任にするのではなく、問題を引き起こした仕組みや実態そのものを問題視するのです。
この手続きを組織的に取り組むことは、もちろん簡単ではありません。
この「問題の特定」にも情熱が必要だからです。
だからと言って本質的な実態を追求する姿勢を持たないと、いつまで経っても同じ悩みを繰り返すだけになってしまいます。
同じ悩みを繰り返していると、日に日に自信は削り取られていきます。
この「負の経験」を蓄積する人が増えれば増えるほど、組織全体の活力が失われてしまいます。
ウィルスのように恐ろしい病です。
2025年以降の社会は、AIを含むテクノロジーの進化や政治的な影響により、先行きの見えない時代の中で生き抜くことを要求されています。
成長の源泉となる「情熱」の火種をいかに灯すか…
終身雇用という強力な「情熱の源泉」の代替案は、何に置き換わるのか?
個人も企業も、この「問い」に真摯に向き合うことが重要だと確信しています。
あなたは、情熱を引き出す「工夫」を生み出せていますか?