「お客様はやっぱり神様ですよね?」
先週末開催されたセミナーで受けた質問ですが、皆さんはお客様を神様だと思って仕事をしていますでしょうか?
神様という定義をどう捉えるか…それ次第で回答は変わってきますが、インターネットの百科事典「ウィキペディア」に書かれた解釈“人知を超えて尊敬・崇拝される存在”と捉えるなら、少々違和感を覚えてなりません。
100%成功するビジネスは無い事を考えると、人知を超える…という定義はあながち間違ってはいないかも知れませんが、尊敬、崇拝の対象と捉えてしまうと、明らかに違います。
一見どうでも良い事のように感じますが、私は言霊の凄さと怖さを営業やマーケティングの実践の場で事ある毎に感じているので、ここはスルーする事ができませんでした。
年齢的には大先輩で、お人柄も温厚な中に鋭さを持った方ですので、反論するような答えは、とても気が引けたのですが……
社内の意識醸成に強い影響を及ぼすことが懸念されたので、藤冨なりの考えを述べさせて頂きました。
そもそも、私は商売の原点を「物々交換」と捉えています。
となると、現在は、お金と商品の交換をしているわけですから、貨幣と価値の等価交換がなされなければなりません。
これを前提として考えるのであれば、売り手と買い手は同等の存在であるはずです。
同じような価値を提供している売り手が、世の中にうじゃうじゃと存在している中、一歩抜きん出て「こんな価値を提供できるのですが…欲しくないですか?」と買い手に投げ掛け、「あっ、私が求めているのはコレだったんです…」という関係が、売り手と買い手の正常な関係性であるはずです。
商品の供給量が少なく、需要が旺盛な成長期であれば「今ある商品より、こんな商品が欲しい!」というニーズが明確に存在している時代なので、お客様に合わせる……という視点が重要視されていました。
その時代であれば「神様」の言う事を聞いていれば商売は上手くいく…という発想が湧き出るのは、自然のことだったかも知れません。
しかし、現代は「明確なニーズ」が、存在しない時代です。
お客様は、自らが欲しいものが分からず、売り手からの情報発信によって、初めて自らの欲しいものに気がついています。
ものすごく不遜な見方をするならば、親が子供の状況を察して、こんな風にすればいいんじゃない? と引率していくようなイメージで捉えないと、商売が伸びない時代になっていると、私自身は強く感じているのです。
社長をはじめ、全社員が「お客様は神様だから…」と迎合するような仕事の姿勢では、お客様に新しい価値を提案できません。
ピータードラッカーも「社会の問題の解決を事実上の機会に転換することによって自らの利益とすることこそ、企業の機能である。変化をイノベーションすなわち新事業に転換することは組織の機能である」と提言しています。
社会や市場、そして顧客の状態をよく観察し、どのような価値を今当社が提供すべきか…
ここに焦点がしっかり当たっている必要がある……と思うからこそ、「神様」という捉え方には慎重になるべきだと受け止めた訳です。
と、セミナー開催中は限られた時間の中での回答なので、このような主旨をお話させて頂いたのですが、「神様」をもっと深くと捉えると、「お客様は神様である」と捉えても良いのかも知れません。
日本神話をひも解くと、他国の「神様」という概念とは大きく異なる為です。
ウィキペディアには「尊敬・崇拝」と書かれていますが、日本人にとっての神様はもっと身近で対等な存在です。
日本民族の総氏神であるアマテラス(天照大神)が、兄弟であるスサノオが、田んぼを壊したり、馬の皮をはいで暴れたため「天の岩屋」に隠れてしまったときのこと。
アマテラスは「太陽神」であるため、世界は真っ暗闇になってしまいました。
困った八百万(やおろず)の神々は、様々な知恵を絞り、天の岩戸の前で歌ったり、踊ったりして楽しそうにし、アマテラスを外に導きだし光を取り戻した…
という物語がありますが、日本神話を読むと、何とも神様という存在はかわいらしく、人間味を感じることが出来ます。
神様を観察し、何をすれば喜ぶのか…
その発想が社会を良くする!と捉えるのであれば、「お客様は神様である」と提言しても良いかも知れません。
ただ、全社員に正しくメッセージを受け取れるかどうかを考えると、やはり「お客様は神様である」という表現は微妙です。
売り手の創意工夫をもって喜ばせるイメージを強化した方が良いので「お客様は観客である」と表現した方が、適切なのでは……と藤冨は思っています。
観客は、楽しみたい……という欲求はあっても、具体的な要求(ニーズ)はありません。エンターテイナーのパフォーマンス(創意工夫)に、「何かの期待」しているだけです。
企業も、この「何かの期待」を喚起して、それに商品やサービスを持って応える存在なのですから。